校章について

 カシワは、空気の澄んだ冷涼な気候の高原に自生する樹木で、ごつごつした樹肌、がっちり大地にくいこんでいるゴボウ根、風雪に耐え抜いた飾り気のない無骨な枝振りは、力強く大地に足を踏ん張り、何事にも負けることの知らない老人の風格を思わせるものがある。

 我が小田倉は、那須おろしの吹きわたる、甲子高原の一角に位置し、地味のやせた開発の比較的おくれた土地で、原野には至る所にカシワの木が生い茂っていたと思われる。一鍬一鍬の開拓の歴史とともに拓かれた、苦労の多かった地域の人々が、風雪に耐えて力強く生きているカシワを愛したことは、小田倉小学校の校章にもうかがわれるものである。

 また、カシワは、若芽が出るまでは古い葉が残り、代々引き継いでいく木ともいわれている。三枚の葉の中に、西郷二中のNと二をかかえ、中を浮かせた校章は、西郷二中の生徒が、大地に足を踏張り、どんな苦難も耐えて力強く、5月の若葉のように若々しく成長していくことを願ってつくられたものであろう。戦後の新しい強度を拓く創世記を象徴する力強いものであった。

 昭和27年、ようやく世の中にも、地域にも落付きが見られ、学校の校舎・施設も整い、生活にもゆとりが見られるようになり、創世記の開拓の精神を残しながら、現在の状況に合致した明るいイメージの校章を考えてはという声が起こり、学校を花にうずめる桜がとりあげられた。

 この桜は、明治31年軍馬補充部白河支部が設立された当時、構内に植えられたもので、春には花のトンネルをつくり、構内にもりかえり、昼間牧場(現在の希望ヶ丘)からの眺望は、福島種馬所(現在の家畜改良センター)の桜を背景に、花にうずまった構内が眼下に見下ろされ、まさに言葉に絶する美観であった。

 昭和20年「国破れて...」軍馬補充部はなくなったが、この桜は残り、年々歳々何もなかったように咲きほこる春の花、そして夏の緑、秋の紅葉は、人の心をどんなにか和ましてくれたことか。天下に類のない広大な高原に、桜に囲まれて誕生したのが、西郷村立西郷第二中学校である。

 桜花は、決して派手な花ではないが、汚れなき清楚な色、形そして、一つ一つの花びらは、独立しながらも五枚がスクラムを組んで一つの花として開き、桜花吹雪として舞散るさまは、まさに汚れなき清純な若人が、平和を愛し、協同と友愛のきずなに結ばれて西郷二中に学び、卒業してそれぞれに全国に舞立つ姿そのものである。桜こそ、桜に囲まれた学窓の象徴に最もふさわしいものであると、この桜花、ソメイヨシノを図案化し、花の中に「中」を浮かせたのが、本校の校章である。

文章:第7代校長 山下 正一(創立55周年記念誌より抜粋)